とことん「本質追求」コラム第194話 なぜ営業研修では、人を育成できないのか?

 

「いつもコラムで社員は育たない! とか過激な主張をしていますが、何の根拠があって言っているのでしょうか?」

 

先々週のコラムを読んだ読者さんから頂いたご意見・ご質門です。

よく読んで頂けると分かると思い、なるべく丁寧に書いたつもりですが、どうやら誤解を与えてしまったようです。

 

改めて藤冨の見解を申し上げますと、「人は育たない」などとは、微塵も申し上げたつもりはありません。

あくまでも外的刺激”だけ”では人は育たない…と主張しているのです。

 

人が変わり、成長するには2つの条件が必要です。

 

1つ目の条件は、成長を阻害する「人生脚本」が描かれていないことです。

人生脚本とは、自分がどう社会や人と関わっていくか ―。という無意識下で働く対応マニュアルのようなものです。
この対応マニュアルは、親などの養護者とのコミュニケーションで「人と接するには、こう振る舞った方がよい」という幼児期から幼少期に掛けて経験したパターンをシナリオ化したもの。

 

赤ん坊時代に机の上をハイハイして両親から「危ない!」と言って下ろされたりすると、「自由になるな」という禁止令が埋め込まれ、指示・命令されたら行動しよう —という対応パターンを学習したり…。

「あー、うー」と声を発しても誰も気づいてくれないので、泣きじゃくったら、両親が気づき介抱してくれた経験を積み重ねると、「泣けば人の注意喚起を促せる」という「わい曲した感情」が抱えてしまったり — と、幼児・幼少期なりの対人マニュアルを作っていくのです。

 

この幼児・幼少期に作られた対応マニュアル―つまり「人生脚本」を私たちは死ぬまで抱えて生きていくと、交流分析というコミュニケーション心理学の中で言われています。

 

しかし、幼児・幼少期ですから、大人の私達から見れば明らかに解釈と対応が間違っています。でも、気がつかないのです。無意識下に入り込んで何かを判断するときに、自然と幼児・幼少期に描かれた人生脚本に基づいて役割を演じてしまうのです。

 

もし、この人生脚本で、成長を阻害するものが擦り込まれていたら…

いえ、万が一の話ではありません。

藤冨が観察している限りでは、意外にも多くの人達が成長を阻害する要素が書き込まれているとみて間違いありません。

 

それでも会社は成長させていかなければなりません。

どうすれば良いのか?

 

対策は2つほど考えられます。

 

一つは、その個人が、心理学を深く学ぶ環境をつくることです。

自らが未熟だった幼児・幼少期に描かれた人生脚本に気づき、大人としての対応マニュアルに書き換えていくことで、成長欲求を引き出していくアプローチです。

ただ、このアプローチは個人自らが望まないと上手くいきません。

企業側から行うアプローチとしては、「人格否定だ!」と間違った解釈をされかねないので、注意が必要です。

 

もう一つのアプローチは、受注に結びつくプロセスに「非属人的な要素」を組み込んでいく方法です。

どうゆうことかと言うと、営業プロセスを分解していき、営業マンに頼る部分と頼らなくても成果に繋がる部分を明確にしていき、それぞれに適切なノウハウを注入して成果をあげていくアプローチです。

 

分かりやすい例だと「テレアポ」や「飛び込み営業」です。

人生脚本の中で「存在するな」という禁止令が書き込まれている人達は、否定が前提となる「テレアポ」や「飛込み営業」をやり続けると精神が参ってしまいます。

ただでさえ、擦り込まれた嫌な感情が、事ある毎に思い出されるからです。

 

従って、営業力を妨げる人生脚本が描かれていたとしても、高い成果を出し続ける体制を会社側がつくることで、営業推進力をあげていくアプローチが必要となるのです。

 

2つ目の「人が変わり、成長する条件」としては、個々の社員が内発的動機づけをもっていることです。

 

内発的動機づけとは、好奇心や関心によってもたらされる動機づけであり、賞罰に依存しない行動のことを言います。

 

賞罰ですから、金銭的報酬や昇給・昇格など、会社が動機づけに利用する一般的に道具は、内発的動機づけには影響を与えていないということになります。

要するに、人参では社員は走らないということなのです。
とくに今の時代は…。

 

高度成長期であれば、日本そのものの成長ベクトルにあわせて自分も成長していけば、幸せになれる! という確信を持つことが出来ました。

 

高度成長期の合い言葉は、池田内閣のスローガン「所得倍増計画」に代表されるような経済的豊さです。

この世代であれば、金銭的報酬が強い動機づけとして働くのは自然なことでした。

 

しかし、日本の経済成長の天井を人々が認識してくると、経済的成長という1本槍のベクトルでは、自らがどう成長していけば分からなくなります。

 

スキルをあげて仕事が出来るようになれば出世をし、給与も上がる —−。

 

この心理状態で活動する社員は、天然記念物と化してしまっていると思います。

 

となると、もはや人間的な成長も促していく古典的な営業研修は、意味をなさなるのは自然の流れとなるわけです。

 

世の中には様々な研修があるので、一刀両断にはできないかも知れません。

それでも、成長を阻害する人生脚本と内発的動機づけの両面を意識していけば、これまでの多くの研修は「ヌカに釘を打つ」ようなものだとお分かり頂けると思います。

 

身もふたもないことを書いてしまいましたが、これが現実です。

 

その現実の中で、いかに社員が気持ちよく働いて成果を出し、企業の業績向上に寄与できるのか。

その課題に真正面に向き合っていくことが、今とても大切なことだと私は強く感じています。

 

御社では、社員が気持ち良く働き、成果を出す仕掛けづくりを真正面から考え、対策を講じていますでしょうか?