とことん「本質追求」コラム第709話 不透明な未来を切り開く「変革し続ける組織」の評価基準とは



「現場で企画なんてできるのか? 本当に“考える力”があるのだろうか?」

先週のコラムをお読みいただいた読者の方から、非常に興味深いご質問をいただきました。
この問いは、一見すると現場の能力に対する疑念のように聞こえます。
しかし、広く世間を見渡してみると表面的な問題提起ではなく、構造的な問題が見え隠れしているような気がしてなりません。

多くの企業では、「現場は指示を実行する場所」「考えるのは上の役割」という前提が、明文化されることなく共有されています。
だからこそ、「現場に企画ができるのか?」という問いが、ごく自然に立ち上がってくるわけです。

問題は、この前提そのものを、私たちが疑うことなく受け入れてしまっている点にあります。
この上位下達の構造を、疑いもなく鵜呑みにして良いのでしょうか?

私がITベンチャー企業で営業マンをしていた時、マシンのようにテレアポを行い、次々と新規開拓の受注をとっては、会社に課題や問題を持ち帰る中で、社長から言われた一言があります。

「組織はピラミッド構造で成り立っている。トップに経営陣がいて、中間に管理職、一番下が一般社員だ。しかし、うちは違う。逆ピラミッドだ。」

「顧客が一番偉い。それを支える一般社員が次に偉い。経営陣は縁の下の力持ちだ!」と励ましてくれたのです。

今でも震えるように感動したことを鮮明に記憶しています。

現場の担当者は、日々、顧客や取引先と接し、製品やサービスがどのように使われ、どこで躓き、どんな不満が溜まっているのかを、誰よりも肌感覚で知っています。

しかしながら、大多数の企業では、その“気づき”が企画や戦略に昇華されることはほとんどないのでしょう。

クライアント企業さんの若手営業マンから直に声を聞くことは、仕事柄さほど多くはありませんが、少ないサンプルやメディアやSNSを通じて見聞きすると…

「どうせ言っても変わらない」
「余計なことを言うと面倒だ」

そうした虚無感が広がっているケースが、少なからず存在していることに気付かされます。


実際、若手の退職理由として長年上位に挙げられているのが、『成長できない』という言葉です。

自社でしか通用しない成果の出し方を覚えても意味がない。
自社のルールと、成長している企業のルールは違うのではないか?
そうした疑念が「成長できない」という言葉に置き換えられているのが真実の姿なのです。

それでも自社でしか通用しない成果の出し方を押し付けようとすると…
「考えても意味がない」「意見を出しても、どうせ変わらない」「結局、決めるのは上だけだ」と、士気が削り取られていきます。

もちろん、若手が未熟なところは多分にあるのは承知しています。
好き勝手にやらせたら、組織が迷走する可能性もあるでしょう。

それでも、過去の常識のまま上から頭を押さえてしまうと、若手は限界を感じて退職するか、地蔵のように黙りこくる考えない社員に変化していきます。

こうした場面が、意図せず、しかし確実に積み重なってしまうと、いつしか悲劇が訪れるのは、火を見るより明らかです。

つまるところ、ここで浮かび上がってくるのは、先週のコラムでお示しした『管理的なアプローチ』の限界です。
競争環境が複雑化し、市場の先行きが見通しづらくなっている現代において、本当に求められているのは、「創造性のアプローチ」だと言えるでしょう。

この創造性のアプローチとは、「正解となる戦略アイデア」を生み出すことではありません。
「勝ち筋につながりそうな手がかり」を見つけ出し、それを仮説として磨き上げていく…その継続的な営みそのものを指しています。

そして、この創造性のアプローチを組織として機能させるためには、複雑な競争環境の本質を見抜くための「モノサシ」と、市場の不透明さを立体的に捉えるための「レンズ」を備えることが欠かせません。

重要なのは、これを個人の力量に委ねないことです。

「モノサシ」と「レンズ」を組織全体で共有すること…それこそが「思考・行動の評価基準」となるのです。

自らの考えや行動が、組織の中でどのように評価されるのか。
その基準が明確であれば、私たちは自分自身の思考や行動の不足点を振り返ることができますし、同時に「何を、どのように考えればよいのか」を腹落ちした形で理解できるようになります。

これからの組織に求められるのは、「管理によって人を動かすこと」ではなく、「評価基準によって思考を育てること」なのではないでしょうか。

先行きが不透明な時代において、御社は管理型の組織のままで若手を引っ張っていきますか?
それとも創造型の組織を作り上げ、活力ある組織運営に舵を切っていきますか?