とことん「本質追求」コラム第6話 顧客と共存できる「あり方開発」が波及営業の出発点

「もう奪い尽くす人の行動をみるのはウンザリだ・・・」

22年前、湾岸戦争が勃発したとき、私は初めて社会の構造や本質に関心を抱きました。

そして、大規模な戦争の根本原因が利権争いだと知った時・・・人間の欲は、同じ人間の生命をも奪うのか・・・と強いショックを受けたのを覚えています。

アメリカの先住民であるインディアンは、侵略戦争より直接的、間接的に95%もの人々が白人に大量虐殺された話を聞いたときは、開いた口がふさがりませんでした。

第二次世界大戦の勃発理由も真相はエネルギー資源の獲得だと聞いたとき、私達の祖父母は何のために戦っていたのか・・・と思い馳せると、怒りさえこみ上げてきました。

さらに現代に至っては・・・
アフリカで起きている内戦が、ロシアとアメリカの代理戦争という背景があると知った時、人間の欲は、そこまで卑怯な手を使うようになるのか・・・と悲しくなりました。

自らの利益のために「欲」という人参をぶら下げて人を操り、操り人形が戦に勝てば、戦利品をちゃっかり頂く。

こんなことが世の中で堂々と行われていると知った時、何ともいえない憤りを感じたのは私だけではないはずです。

直接、手を出すと、社会からの批判を浴びるから、貧しい人達に豊かな生活を保証すると同時に武器を与え、利権をせしめようとする。

戦争はよくない・・・という民衆の声を聞かざる得なくなった世界の政治家達は、それでもあの手、この手を使って、自らの利権を獲得しようとする。

どれだけ卑猥な発想なんだと・・・。

 

人間だけでなく、ある命が生き続けるためには、誰か、何かの命を必ず殺しています。

完全なベジタリアンであっても、植物の命を奪っているのは事実。

生きていく上で、誰か、何かの犠牲の上で成り立っているのは、紛れも無い真実です。

 

綺麗事を言うつもりはありません。

 

しかし、「だったら何でもありでしょ!」というのはあまりにも短絡的ですし、「自然の摂理は利己的だ・・・」という思想にも嫌悪感を抱きます。

自らが生きる中で、誰か、何かの犠牲の上で成り立っているのなら、それ同等、いえそれ以上に誰か、何を”活かす活動”をすることが私達人間の義務ではないでしょうか。

企業は顧客の生活や生産活動に貢献することで利益という対価を得ています。

そんなの当然でしょ!

という人が大半ですが、現実の行動を見ると矛盾を通り越して、支離滅裂な企業活動に勤しんでいるケースが目に余ります。

産業革命しかり、情報革命しかり、すべては軍事技術から発展して、私達の生活をより豊かにしています。

企業行動の言葉を見ても「戦略や戦術」「ターゲット選定」「市場攻略」・・・多くの戦闘用語が並んでいます。

侵略の技術が逆に私達の生活をより良くしてきた事を考えると、何が良くて、何が悪いのかを完全ニ分法で語る事はできないのかも知れません。

 

しかし・・・今モノが売れない時代のなか、営業の現場では「訪問件数を増やして1社でも受注を取ってこい」「クロージング技術を磨いて応酬話法で切り返し、受注のチャンスを取りこぼすな!」そんな売り手目線の利己的なメッセージだけが、ひとり歩きしているようで・・・強い憤りを感じています。

なんとか、この現状にメスを入れたい。

商品レベル、販売手法レベルのイノベーション前に、まず真剣に『顧客と共存できる”あり方開発”』という文化のイノベーションを起こすべきだ! と真剣にそう思っています。

侵略思考なんてしなくても、自社の強みを全面的に、明確に打ち出すことで、顧客から充分に支持されるのですから。

私が、この原点づくりを波及営業の出発点としているのは、そういった”憤り”が根っこになっているのかも知れません。