
「当社の弱点は、この製品は、A業界がBという使い方のために購入している…と決めつけていたことだったのかもしれません」
先日、コンサルティングが終わった後、プロジェクトメンバーの方がポツリとこう言いました。
新商品が思うように売れず、「これは失敗作か…」という空気が会議室を覆っていたとき、あるメンバーが発言しました。
「もしかするとC業界でも使えるかもしれません。具体的な用途までは分からないけれど、商品特性を考えれば刺さる可能性があります」と。
「この製品はA業界が、Bという使い方をするために購入している…」という”決めつけ”から、脱却できた瞬間です。
この発言で、場の空気が一瞬で変わりました。
失敗作だと思い込んでいた新商品に、新たな活路が見えた瞬間です。
売れなかった商品が、ターゲットやベネフィットの視点を変えて成功することは決して珍しいことではありません。
シュレッダーハサミも、最初は「もみ海苔を切るための包丁」でした。
おそらく、主婦だけでなく、蕎麦屋とか、料理屋もターゲットにしていたはずです。
また、誰もが目にする「梱包材のプチプチ」も、最初は「壁紙」として誕生しました。正式名称は「バブルラップ」ですが、発売当初はまったく売れず苦戦が続きました。諦めずに「断熱材」としても売り出しましたが、これも成果が出ず、約1年間は鳴かず飛ばずの状態だったのです。
それでも諦めずに新たな用途を模索した発明者は、精密な電子機器の輸送で困っていたIBMに「これを梱包材として使ってみてはどうか」と提案。
その効果をIBMが認め、正式採用したことをきっかけに需要が一気に拡大。
以来、世界中で広く使われる商品へと成長しました。
シュレッダーハサミもプチプチも、共通する成功の要因は「用途を変え、ターゲットとベネフィットを新たに定義し直したこと」にあります。
こうした話をするとき、マーケティングをどう学べば良いですか?という話題になるのですが、こうした発想は、テクニックやフレームワークから生み出されるものではありません。
つまり、成功のカギは複雑な理論や小手先のノウハウではなく、ものごとを固定観念から解き放ち、「なぜ売れないのか?」「この商品が解決できる本質的な課題は何か?」と問い直す姿勢そのものにあります。
視点を変え、問いを深めることで、これまで気づかなかった用途や新しい市場が浮かび上がってくるのです。
表面的にみれば、実にシンプルです。
・海苔切りハサミを、簡易シュレッダーに変えただけです。
・壁材を使っていたのを、梱包材に変えただけです。
答えがわかれば、なんてことのない発想に見えます。
ただし、このような発想力は、スキルやテクニック、フレームワークを学ぶだけでは身につきません。
結論から言えば、哲学的な学びを深めることこそが、最大の「能力開発」につながるのです。
10年前の2015年12月22日にも「教育で「売れる営業マン」を育成できない理由」というタイトルで「学び」だけでは営業力は向上しないことを解説していますが、これはマーケティングも一緒です。
▼第187話 教育で「売れる営業マン」を育成できない理由▼
https://www.j-ioc.com/column/3490/
価値を作り、その価値を伝え、自社商品を社会に浸透させるという一連の仕事であるマーケティングも、書籍や動画で学んだだけでは、能力向上につながりません。
藤冨は「マーケティングは哲学である」と強く信じています。
ソクラテスは「我、知らざるを知る」という名言を残しました。
これは、自らの知識の限界を自覚することの重要性を説き、無知の自覚こそが真の知恵の始まりであるという教えです。
「知っている」という傲慢さは、真の顧客像を厚いベールで覆い隠してしまいます。
その結果、本質が見えず、誰にも響かない商品を抱え込み、成果の出ない「回し車」を際限なく走り続ける羽目になるのです。

無知の自覚を受け入れ、顧客や現場にしか「真実」は宿らないことを深く受け止め、人間の満足、法人活動の最適化、社会の発展に不可欠な根源的な問いを探究し続けること。この「問いを追求する」ことが、マーケティングの本質なのです。
まさに、哲学ではありませんか!
哲学は、論理的な分析や概念の明確化、そして対話を通じて「解」を探ろうとします。
「なぜ?」を問い続ける姿勢こそが哲学の本質であり、答えを得ること以上に、そのプロセスにこそ価値があります。
ドラッカーは「企業の目的は顧客の創造である」と述べ、その手段をイノベーションとマーケティングに求めました。
抽象的な表現なので、理解がわかれるかも知れませんので、注釈すると「変化し続ける顧客ニーズに最適化した価値を常に生み出し続け、顧客から支持されることが企業の使命だ」ということです。
例えば、「ほっかほっか弁当」も「弁当は家で作って、外で食べ得るもの」という常識が定着しているなか、外で買って家で食べる文化を創造しました。
背景には、核家族化が進み、パートや仕事に就く主婦が増えたことがあります。
法人に目を向けると、コンピュータのソフトは「インストールして使うもの」という常識がありましたが、今やGmailやGoogleドキュメントのように「ネットに繋いでつかうもの」という文化が生まれました。
企業側は、陳腐化したハードを変える際、ソフトやデータの移植にコストをかけずに済み、故障時の対処も「ソフト、ハード、使い手…といった原因の切り分けから解放されるようになりました。
常識に縛られ、当たり前になっていることを「もっとこうしたら良いのに!」という発想で、人々の生活を変え、企業の活動をより生産的にし、社会をより豊かで過ごしやすくするための手段が「マーケティング」なのです。
そのためには、答えを安直に出すような発想から、問いを繰り返しながら可能性を探ることで、まだ見ぬ顧客をつくり出す力が大切になっていきます。
マーケティングは、スキルやテクニック、ましてやフレームワークを学ぶこと自体ではありません。
人間を学び、企業活動に興味をもち、社会の発展を願う姿勢からこそ、学び取るものです。
そう考えると、マーケティングの本質は、哲学的な境地から人間や社会を深く理解しようとする「継続的な営み」と捉えることが出来るのでは、ないでしょうか?
あなたは、マーケティングを「お金を生み出す道具」と捉えますか?
それとも、「社会をより良く発展させるための道具」と捉えますか?